Ns-001 看護部長は役割としてやる|ヘルスケアワーカーキャリア学会は、学問的・実践的立場からキャリアを探求し、成果を社会に還元。

NsE-001 看護部長は役割としてやる

1.看護部長になった経緯

次の看護部長を決めるときには、まず看護部内で選考して、その結果を病院長に報告して承認を得るというプロセスでした。前の看護部長が退職する時期には、私よりも何年も年上で優秀な副部長がいたので、その人が次の部長になるだろうと思っていたんです。ところが、ちょうどその頃、看護部長の選考に公募制が導入されました。看護部長に副院長ポストがつくようになり、看護部のことだけではなく、病院全体の経営の一端を担うのだからというのが公募制度に変わった理由でした。公募に対して組織内からも候補者を立てるということで、看護部長に声をかけてもらい、私は公募に応じました。全国的に看護部長の若返りがなされ始めていたときで、応募してプレゼンし、選考委員会を経て、選ばれました。そのため、私は従来の副部長よりも若くして副部長なりましたた。結局、8年間務めたことになります。
手上げして選考して看護部長なったということには、強い責任が伴います。プレゼンのとき、自分がやってきたことについて自信を持って話しました。今まで何をやってきたのかを自覚し、選ばれたときにはその責任の大きさを感じました。

2.看護部長として頑張ったこと

看護部長になってすぐ、私は“止まれない”ということを明言しました。「世の中のスピードについていかないといけない。みんなが迷わないように、先を読んで仕掛けることが必要。だから止まれない」と言ったのです。
たとえば、平成18年には新人教育制度の努力義務化が導入されることがわかっていましたので、そのための準備を先んじてやろうと思いました。これまでの新人教育のあり方の見直しにはものすごい反対もありました。でも、「今のタイミングでやることに意味がある。今やっておかないと、新人を大勢採用したときに、質を上げていくことが大変になるから」と伝えました。師長会だけでなく、スタッフを集めて、なぜ必要なのかという説明会を何度も行いました。 
反対がある中、新人には複数の職場をローテーションしてもらって、最終的に配属職場を決定するという方法を導入しました。それをやめるということはせず、とにかくやると決めたらやるということでやりました。ただ、3年後に大幅な見直しをするということは決めており、3年の間、毎年少しずつ改善をしました。3年後には、師長たちと何度もグループワークを行って、どうすべきかを検討しました。結果として、教育レベルそのものは変えずに、ローテーションは形を変えて継続することになりました。今もしていると思います。部長として丁寧にかかわり、実績を残した事例です。
私は、蟻(あり)のように情報をとりながら、鳥のように俯瞰することが大事だと思っていました。俯瞰は病院だけではない。世の中の動きをみながら、病院、看護部がどう歩むかの道をつくるためだという思いでした。

別の例として、BSCの導入があります。師長時代に、1年の目標を書けと言われて書いていましたが、スローガン的なもので、いつも同じような文言で、それをどう改善していくのか全然わからないなと思っていました。部長になってから、目標管理や方針管理を採り入れようとしたのですが、いくら書いても、それが自分たちサイドになりがちでした。もっと顧客視点が必要だと思っていたときに出会ったのがBSCで、「これだ!」と思いました。
最初は講師の先生をお呼びして講義を受けたのですが、師長たちは冷ややかでした。それでも、やり続けました。毎回戦略ストーリーを書かせて、戦略マップを作って・・・それを1年に3回評価しました。副部長たちにも丁寧に関わってもらいました。文句もあったけれど、今では、外部の研修生がきても、現場の師長たちがBSCを使って蕩々と自分たちの看護を語っています。数値が共通言語になることがわかったら、強いです。
次には、主任達にBSCを報告させるようにしました。自分たちが何をしているのか見えないと報告はできないし、質問にもこたえられません。最初は、どのグループが質問するかを決めていましたが、やがて、質問が止まらないほど、他からどんどん出るようになったのです。師長や主任たちがものを言えるし、考えられるようになりました。
また、それまでは、師長が代わると新師長が新しい目標を立てていましたが、前師長がBSCを作っておくことにしました。そうすることで、新師長は、スタッフみんなに聞きながらその目標の意味を理解しようとするようになりました。
師長の教育として、週に1度、30分間グループで集まってもらうことも採り入れました。直近の1週間に現場で困った事をプレゼンしてもらって、それをみんなで考え、引き出しを作っていくことをしたのです。昔はカリスマ的なお姉さんのような役の人がいたけど、今はそういう人はいないので、そういう仕組みを大事にしました。不満があればその場で言ってもらい、一歩その場を出たら決して言わないということを管理者に徹底していきました。

私は、部長職を、やりがいを持ってやってきました。「ほめられるためにやっているんじゃない。誰に向かってやっているのかといえば、それは患者さんのためで、職員のため。ときには壁になって、あなた達を守る」とみんなに言っていました。患者さんによいサービスをしてもらうためにやるんだと。
「看護部長というのは役割としてやっている。だから、看護部長として私がやって当たり前だと思ってやっていることを褒められるようとは思っていない。私がやったことで、みんながいい仕事ができるようになり、その結果、患者さんからみんなが褒められ、いきいきと喜んでくれるのが、私にとってハッピーなことだ。私は遠い存在かもしれないけれど、みんなが現場で生き生きとやれるということに関しては、近い存在なんだ」と、しょっちゅう言ってました。みんなもそれは理解してくれていました。

だから、病院長とはむちゃくちゃ戦いました。「裸の大様になってはいけないから、言います。」と言って、いろいろ言わせてもらいましたね。
たとえば、看護部副部長に欠員が出たことがありました。それが、年度の終わりの急なことだったので、師長たちの異動や昇格はできない時期でした。それで、時期をずらして師長を副部長にあげるということで、師長会で人選をし、院長にもその人物の人事と昇格時期について了解をもらっていました。ところが、その後、私が辞めることになると、その人選もなかったことにすると院長が言い出したのです。新しい看護部長が来てから次の副部長を決めればいいという話でした。でも、次の部長が決まるまで、副部長ポストを1年もあけておくことはできないし、何よりも一度決まったことです。師長会の席でも「この時期の異動はたいへんなので、副部長の選考は今行うけれども、異動は秋にする」と公言して了解を得ていることです。院長には、「私は、嘘はつけない」と言い、このときばかりは、副部長たちも病院長のところに押しかけました。院長は事務長と示し合わせていましたが、結局自分たちの筋を通しました。あの時、看護部が一丸となったのはすごかったです。

3.一番苦しかったこと

部長になってしばらくして、副部長たちの存在をもっとわかってもらうためにはどうしたらいいかを考えました。たとえば40代で副部長になったら、15年もそのポストをやらないといけない。副部長には、看護部長くらいの権限と責任を任せることもあるので、副部長ポストを公募制にしようと思ったのです。公募制にして任期をつくり、任期がきたら本人の継続意思とやるべきことの達成具合を評価して、再任するかどうかを決めるというものでした。
しかし、ものすごい反対に遭いました。それはすごかった。俸給表で副部長は4級、師長は5級。もし、師長に戻るとなったら、4級に戻るのは降格人事ではないかというのが、反対する人たちの意見でした。公的病院だったので、降格人事というのはありえない。これは好き嫌い人事ではないし、降格人事ではないといっても理解されませんでした。私としては、任期があるからやるというのではなく、いったんその役割に就いたけれども、どうしても続けるのが難しいということであれば、別の役割の方がいいと考えていたのですが、それがどうしても理解されなかった。私は、恨まれるとか、喜ばれるとかと思って仕事をしてきたわけではありませんが、あの時は、はげるんじゃないかと思うくらい、孤独な中で戦いました。3ヶ月くらいかかりました。
結局、その話を聞き知ったあるスタッフが、「なぜ、公募がいけないのですか」と言った一言で、拍子抜けのようにやることが決まりました。師長会での最終決定のときに、まったく反論がなくなったのです。「みなさんの合意でよろしいですか」と確認して決まりとなりました。本当に拍子抜け。はげるかもしれないと思ったのは、どうしてこの理屈が通らないのだろうという思いからです。私は、この組織をこんな風に育ててきたのかなと思いました。自分たちの実績を正しく評価してもらいながら、もしも役割を果たせなかったときに、どういう意思を示すのかということです。大事な看護部を牽引していかないといけない副部長は、それほど大事なポストだということが、どうして理解できないのかと思いました。先にも言ったように、私自身が「ポストは、その役割を務めるためにあるものだ」と言い続けてきて、それはわかってくれていたはずでした。それなのに、どうしてこの事はわかってもらえないのかという乖離があったんだと思います。だから、スタッフのその一言があって収まって、いったい何がどうなった?っていう感じで、なかなかすっきりはしませんでした。悶々としていました。

4.看護部長退職後

定年まで看護部長をする予定でしたが、教育のポストに移ることにしました。そのポストの前任者は、現場でやって来た人で、教員職のポジションをもらってからは、もっと現場をよくしていく仕組みが必要だと言っていました。ちょうど、そのポストが空くのでやってみようということになったのです。
私は、もともと教育が好きでした。人があってこそ物事が成長することもみてきました。それに、すぐに結果がでないことにかかわることや、その地道さの中で、どうやったらハッピーになっていくかを創造することが好きだということもありました。応用することが好きなんだと思います。これがダメならこちらでどうかと、新しいプログラムや仕組みを開発することが好きでしたね。
それまでは、看護部長として間接的に教育を支援してきたけれど、基本的には副部長に委譲していました。教育については、自分もやりたいことはあったけれど、部長の立場で言い過ぎてはいけないと思っていたのです。それは、管理のポジションパワーが組織に影響するという経験をしてきたので。今は、教育をベースにするようになって、すごく充実しています。
私には今の課題があります。先をみている自分がある。だから、相談に乗ってほしいと言ってくれば聞くことはありますが、前職である看護部長職には完全にシャッターを下ろしています。そこは強いのかもしれませんが、見ざる、聞かざる、言わざるです。話は聞きはしますが、コメントはしない。それは鉄則。そんなことを考えているよりも、自分はもっと前に進まないといけない。皆がハッピーになるために、自分がやらないといけない役割を今はやらないといけないと思っています。

5.看護部長として学んだこと

権限委譲することが、人を育てることなんだということですね。大変だけど、その良さを学びました。最初は、部長になって、副部長はアシストするべきだと思っていたので、指示していました。でも、これでは人が育たないと思いました。この人達の能力をどうやったら開けることができるのか。この人達が判断するように任せることで広がるだろうし、自分も楽になるだろうし、それがいいと思いました。
実際に権限委譲したことで、大変だったが、私の上を越えたような考え方まで出てくるくらい育つのが目に見えました。権限委譲ってこういうことかと思いました。たとえば、電子カルテとか、何か新しいことを病院が導入するときには、副部長を担当にしました。その会議で副部長が首を縦にふるということは、看護部の代表としてふっているということです。最初は、そういうことを任せていいのかと思いましたた。でも、やってみようと。その代わり、私との間の報連相を密にしてもらい、それでつながるだろうと思いました。任せてみると、むしろ責任を持って勉強してくれて、成長しました。医師への発言も変わっていきました。
最初は、ハラハラしましたが、看護部長でなくても、副部長の発言が看護部に浸透していることで、信頼されるようになりました。どういう話合いの中で、首を縦に振るか、振らずにできないと言ってくるか・・・そういうことが、そういう経験が、みんなの血となり肉となるように役に立てばと思います。

6.次世代へのメッセージ

権限と権力を間違えないように。看護部長という力で、どういうことをしないといけないか、自分をどう活かしてどうやっていくかにエネルギーを注ぐべきです。指示や命令することだけではない。もらっている看護部長の力をはき違えてはいけないです。
大事なのは、現場ではどういう看護をしてきたの?ということ。やりたい看護、それがすべてにつながります。物事を、右へ左へとこなしてきた人が管理者になったら最悪。ポリシーをしっかり持っていない人が、役職に就くのはやめてほしい。私は、どういう看護をしてきたのか、どういう看護をしていきたいのかを必ず管理者の面接で聞いてきました。患者さんのために、どういうサービスをしてきたのかを振り返ってほしい、何かのときには原点に戻ってほしいと思っています。

私は、ある病棟で師長をしていたときに、大きな声で医師とやり合ったことがあります。体重測定をしていたら、その先生が「そんな指示はしていない」と言われたんです。そのときに「24時間365日、患者をみているのは私たちなので、体重測定のことまで先生の指示は必要ない。何の指示が必要で、必要でないか、それくらい看護師は判断できます。」と言いました。その後から、その先生とはすごい信頼関係ができて、何かのときには、「ここに看護があるだろう」「これが看護の醍醐味だろう」と言ってくれるようになりました。
そんないい人たちの出会いが自分にはあったから、みんなにもいい体験をしてほしい。いい体験、看護の醍醐味を教えることが大事です。役職になっても・・・役職になることが目的ではない。私たちは看護職だから、患者さんの声をみんなで喜んだり、ほめたり。そういうことが、現場につながっていくんだから。

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