NsE-002 つながりを大切にし、得た情報は100%活用する|ヘルスケアワーカーキャリア学会は、学問的・実践的立場からキャリアを探求し、成果を社会に還元。

NsE-002 つながりを大切にし、得た情報は100%活用する

1.看護部長になった経緯

【1か所目の看護部長】

私が師長として勤務していた大学病院のトップ宛てに、看護部長派遣(ヘッドハンティング)の依頼があったのがきっかけです。当時、看護部長と副看護部長が不仲の為、当該病院では増改築事業が始まるということもあり、スタッフへの影響も考慮して、看護部長の交代が協議されての依頼だったと聞いています。

【2か所目の看護部長】

理事長は以前からの知人です。その理事長が看護部長を通じて声をかけてこられました。複数の施設を持っている法人でしたが、これからの超高齢化社会を考え、老健施設に興味があったので、そこに行くことを条件に引き受けました。老健で管理職経験後、同系列の病院の看護部立て直しと病院機能評価更新受審のために副院長・看護部長になりました。

2.看護部長として最も対応に困ったこと、苦しかったこと

【1か所目の看護部長】

就任してまず驚いたのは、看護部内が想像以上にグチャグチャで…看護部長と副看護部長が本当に言い争っており、副看護部長は看護部長の顔を見たくないと自分の机の前につい立を置いていました。言い争う2人の声が医局にまで響いている状況で、看護職員は、看護部長派と副看護部長派に二分されていました。その看護部長は、、実質は3日位の申し送りをして、他地に出向となりました。
大学病院の1病棟師長から看護部長に就任したため、看護部全体の掌握については苦慮しました。看護部長の役割・権限の理解から始まり、日々の看護管理のあり方について、頭では理解していましたが、実践の部分で悩みました。就任前に勤めていた大学病院の看護部長がこの病院の看護部相談役だったので、指導は受けていました。しかし、院内で細々した事を相談しにくく、他病院看護部長に相談することも躊躇する中、細かいことを相談できたのは、県看護協会の看護師職能委員のメンバーの方たちでした。当時の職能委員のメンバーは現職の看護部長や副看護部長の方たちだったので、相談するとご自分の経験から的確なアドバイスを頂くことができ、特に組合対策では助けられ、感謝です。
看護部長として、初めての大きな決断事項として関わったのが、助産師7人の退職への対応でした。年度途中からの就任で、人事のことも考慮しないといけない時、助産師7人が揃って退職したいと申し出てきたのです。退職の理由を聞くと「助産業務だけに専念したい。助産以外の周辺業務はできない」との一点張りで、看護師との協働作業の必要性を話しても理解してもらえませんでした。年間800件以上の出産件数がありましたが、協働作業がなく、コミュニケーションのとれない現場ではかえって危険と判断しました。そして、院長・事務局長に相談し、7人の退職を受理し、その後の対応策として、県看護協会で要職にも就かれていた開業助産師の方に、院長とともに実情を話し、当直の応援態勢のお願いをしました。看護協会を通じて存じ上げていたので、了解して頂き、その後、約3年間助けて頂けました。その間に助産師の体制を整えていくことができました。
私の在任中に、院長は3名変わっています。3番目の院長は国立病院からで、「副看護部長を連れて来たい」意向をお持ちでした。「私がお会いしてから副部長になっていただくか否かを考えます」と返事をし、面接を行ったが、「国は…国は…」と国立病院を基準にし、権力を笠にかけるようなところを感じたので、「まずは病院のことを知っていただく」ということで、師長として採用しました。後から聞いた話で、院長は、当時の2名の副部長に意地悪をしていたらしいです。二人とも退職することになり、結局、院長が連れてこられた人が副看護部長になり、私の後、看護部長になりました。

【2か所目の看護部長】

赴任してみて、民間病院特有の諸事情から、目が点になりました。看護部は、理事であり理事長夫人でもある医師が牛耳っていて、看護師長会にも出席していました。全てその理事の指示のもとに看護職員は何も考えず動いていたのです。
私が赴任し、看護の話をしても一向に通じない。看護師たちは高校を卒業してすぐ病院に就職し、看護学校に行かせてもらっているから、他の病院や看護の動向などには無頓着で関心が一切ないのです。また、患者が入院するとリースセットなどの名目で、患者さんからその料金を徴収していました。病院の職員は、私たちが頑張っているから老健が2つも立ったんでしょ!! と自負しているような状況でした。
赴任後、直ちに「病院看護部の目指す看護」について看護部全職員にビジョンを示したのですが、理解してもらえず、病院の実情を知れば知るほど、私自身落ち込むところまで落ち込みました。幸い、理事長は、事務局に「看護部長の意見を聞くように」と指示をしてくれていたので、やりやすい一面もありましたけれども・・・。
4月には新任看護師長3名を迎え、病棟を担当してもらいました。彼女たちと、毎日30分前後、問題点や気付いたことを出し合い、協議しながら共通認識と意思決定を図っていきました。
理事長夫人が師長会に出席するのは、“看護師たちを守ってあげないと”という気持ちを持っておられるのでは、と感じたことがあったので「私も、前病院で看護部長を務めてきたので、4月からは私が責任を持って進めていきますので、出席は結構です。何か、困ったことがあれば相談に来ますのでよろしくお願いします」と言うと、「じゃ、任せるね」と4月から出席しなくなりました。いきなり外れてもらったこともあるし、陰で変に動かれても困るので、議事録は読んでもらうようにすると、「こんなことまで話してくれているの!」と、むしろ協力的に動いてくれるようになりました。困ったことも多々あったけれど、最終的には全職員が協力的に動いてくれました。

3.看護部長として最もやりがいを感じたこと

【1か所目の看護部長】

看護部長着任時に与えられていた2つの命題:増改築事業の成功と看護専門学校の設立を達成できたことです。
増改築事業では、看護の視点から看護部としての意見を述べ、意思決定の場面に参画できたことにはやりがいを感じました。ただ、図面まで引いた後に阪神淡路大震災が起こり、予算は復興事業に計上され、延期になったこともあります。それでも、他病院の協力を得て、竣工できました。
看護専門学校の設立は、教務主任経験者を迎えて準備委員会を設立したことから始まり、女性の学び舎として女性設計士が設計し、随所にやさしさを表現しました。第1期生が卒業したときは、感無量でした。
その他、看護部として改革を推進していくために、タイムスタディによる看護業務量調査の実施したことや、いち早く患者満足度調査を導入したことは忘れられません。
特に、後者に関しては、院長・事務局長に、全入院患者に「看護の満足度調査」を実施したい旨を説明し、当初は、患者から厳しい回答が来たらどうするのか、と調査に反対されたのですが、看護部の再構築のためには患者からの意見を聞く必要であることを伝え、了解を頂きました。退院後2週間以内に回答を頂くことを患者・家族に説明し、70%の回収率で、90%以上の患者から高い評価を頂けましたが、ある患者から「親切・やさしい、ただそれだけ…」という言葉があり、頭をガ〜ンと殴られた思いを受けました。それが、「私の患者さん・私の看護師さん」のプライマリーケアの理念のもと、看護提供方式の検討・導入、看護の質検討委員会の設置につながっていきました。

【2か所目の看護部長】

入院基本料は10:1を取得しましたが、現場はギリギリの看護職員数の中、看護の質を保証し改善するかは大きな課題でした。そこで、「リソースナース室」を創り、老人看護専門看護師や感染管理認定看護師、皮膚・排泄ケア認定看護師、医療安全管理者を配置し、組織横断的に活動してもらいました。現場も活気づき、看護職員の意識変容に結びついたと思います。
看護部運営モデルや機能図は前病院で作成したものを、民間病院用にアレンジし活用しました。看護についても一人ひとりに理解してもらうために、ニュースレターを毎月発行し、看護部長として考えていることや看護部の方向性を示しました。それを院内掲示版にも掲示し、他部署職員にも理解してもらいました。病院ではBSCを導入し、年度末に各部署からの評価を基に看護部評価も加え年報で公表しました。それは、師長たちの達成感につながっていたと思われます。
私自身も、副院長・看護部長として看護職員や他部署の職員から理解され、一丸となれたことは大きな成果だったと思います。それと人に恵まれたことに感謝です。何かをしたいと思った時、それまでのつながりの中で優秀な人が周りにいて、具現化してくれ、助けられた。この病院は、外部から看護部長を迎えたのは初めてだから、理事長・院長・理事・事務職員などの緊張の度合いはひしひしと伝わってきました。でもその分、しっかりと応えないといけないと思い、最新の情報を得て、病院で実行するためにどうすればよいかを常に考え、運営会議などで提案しました。それが病院全体の変革にもつながったと思います。県看護協会の仕事などで得た情報は100%活用させて頂き、本当に感謝しています。

4.看護部長という職位を通して学んだこと

人を信じて任せる事の重要性について学びました。そのためにはその人の長所を良く見て、その人を信じて長所を生かせるような職場に配置することが大切かなと学ばせてもらいました。
看護部長はよく孤独だとよく言われるけど、私自身は孤独だと感じたことはありません。どうしてかな?と振り返ってみると、スタッフや他部署から頂いた情報はできるだけオープンにし、「これに対してどう思う?」と意見をもらって共有しながら広げていけたのが良かったのかもしれないです。最終的に看護部長が決断しなければならない時も、みんなから意見を聞いていたので、孤独とは感じませんでした。
それから、最新の情報の大切さも学んだ。職務を全うしていくためには一番大切かなと思います。収集の仕方はいろいろあると思いますが、私自身は看護協会の仕事を通してタイムリーに収集でき、病院機能評価のサーベイヤーでの学びも多かったです。「他の病院を見て学ぶ」ことも結構あったので、役得を感じました。
データで示すことは大事です。タイムスタディによる看護業量調査や患者満足度調査などのデータを分析し、対策を立案し、他部門へプレゼンテーションを行い、協力を得て実施しました。評価も行い、効果的にPDCAサイクルの展開・実践しました。他のことも、極力数値に置き換えました。たとえば、主任会で主任一人当たりの1時間の単価を出し10回/年開催するとして計算すると約400万近いコストだという計算をしたことがあります。この金額は年間の主任会の成果として妥当か?など検討したこともありました。
私にとって、人脈の繋がり・広がりは大切です。看護学校の恩師でもあり上司でもあった方からは、その人のいいところを見る、あるいは探すことの大切さ教えられてきました。そして役割に応じて一線を引くことの厳しさについても学んできました。その人を通して、看護協会とのつながりや他病院の看護部長たちとの出会いをいただき、近くでいろいろな意見を聞かせて頂いたことは、大きな学びでした。

5.看護部長職についていたことが、今の生活や仕事にどのように活かされているか

看護部長同士のつながりを、地域の中で生かすことができています。看護職であることを地域の方は知っているので、相談に来られた時や受診される時には、そこの病院の看護部長に繋げることができます。地域の方も安心感が強くなっていると思います。
今は、県看護協会のナースセンターのお手伝いもしています。そこで、施設の中では知りえない方たちの相談に応じています。一人ひとりの相談に応じていると、看護職のすそ野の広がりの凄まじさに驚かされます。こちらの気持ちが折れそうになる時もありますが、でも、看護部長であったことが粘りになり、話を聞きながら次のステップに繋げられています。

6.次世代看護部長に伝えたいこと

「役職が人を育てる」です。人は役職を与えられることによって、次のステップに進むことができるのです。看護部長が「次はあなたにと・・」と推薦してくれる時は、「あなたがやったらできる」と評価し推薦してくれているのですから、受けて立つことが必要です。
最初から100点ではなく、及第点であればいいと思うし、「困ったときには助けて下さい。SOSを出します」と頼んでおくことも必要だと思います。また、「できるところから、できるところまでやってみよう」と自分に合ったプラスの考え方を持って、逃げずに向かって行ってほしいですね。
そして、仕事は楽しんでほしい。しんどいと思ったら、どんなこともしんどい!!そしてスタッフもみんながしんどいって言うのよね。楽しいと思ったら周りも楽しくなってくる。苦しくっても笑顔をつくると楽しくなってくる。脳内ホルモンのセロトニンの分泌を図りましょう!!

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